Max Creasy / How Things Look インタビュー

Added on by Yusuke Nakajima.

POSTでは、5月9日(木)からロンドンとベルリンを拠点に活動するビジュアルアーティスト、Max Creasy(マックス・クリージー)の展覧会が始まります。マックスは、オーストラリアとノルウェーをルーツに持ち、建築、人物、静物写真の撮影を通して独自の視覚言語を生み出しています。
展覧会の開催を前に、今回発表になる書籍「How Things Look」の制作に関する話しや、写真を撮るようになったきっかけなどを伺いました。

新しい作品集「How Things Look」について教えてください。この本は日本で撮影した写真で作った写真集ですよね?

はい、そうです。約1年前に家族と日本に2週間の旅行に行きました。家族との休暇のための旅行でしたが、もちろんカメラは持っていて、面白いと感じたものを撮影しました。
奈良県の吉野に行って伝統的な家を見たり、時期が4月だったので、北海道の函館まで行って最後の桜を楽しんだりしました。
この書籍に掲載されている写真は、自然な流れで撮影されたものなんです。少し前まで作品作りをするときには、コンセプトをまず考えて、その後入念なリサーチをしてから撮影に出かけていました。
でも「How Things Look」では撮影した写真を眺めているうちに、その中に興味深いものを見つけたので、それを作品にしようと思ったのです。



Maxの他の作品「Loose Change」や「Living Outside」も同じような手法で制作したのですか?

そうです。作品からコンセプトを見出すやり方は、「Casual Relationships」から始まりました。過去数年の間、制作の方法を変えようと思っていて、その時取り組んだのが「Casual Relationships」でした。最初ではなく、最後にコンセプトを見つけて繋ぎ合わせるという手法のことです。
なぜなら、自分はドキュメンタリー写真をルーツに持っていますが、人が想像するような事実や客観性はそこには存在しないということに気がついたんです。
主観的な選択の積み重ねである構造物としての写真について、さまざまな作品を制作するプロセスを経験しました。
「Casual Relationships」の制作過程は、文化を構築することと同じだと思っています。スケートボーダーやブレイクダンサーのような社会的集団は、文化的なアイデアを考え出し、それを支持し、何度も何度も披露する。そうすると大衆からも受け入れられるようになって行くのです。
だから、この本には繰り返しがたくさん出て来るんです。小さなものを見て、次に大きなものを見る。視覚文化は構築されたものであることを表現しています。
制作過程の中で、インスタグラムなどのプラットフォームを参考に、ヴィジュアルが支持されていくプロセスを観察したりもしましたよ。
今回発表する書籍「How Things Look」、過去作の「Loose Change」や「Living Outside」も「Casual Relationships」と同じ、撮った写真からコンセプトを見つけるという手法で制作していますが、それはCOVIDによるロックダウンも関係しているかもしれません。
例えば「Loose Change」を撮影した時はちょうどCOVIDが終わったころで、ただどこかへ行って、人やさまざまなものの写真を撮りたかった。日本旅行に行った時も、国内でさまざまな制限が終わった時期で、コンセプトを組み立てるよりも、自分の直感に従ったような作品になっています。

現在ベルリンとロンドンを拠点に活動されていますが、故郷のオーストラリアを離れたのはいつのことでしょうか?

大学院のために戻ったりもしましたが、20歳をすぎてからはオーストラリアに住んでいるとは言えないかもしれません。母方の故郷がノルウェーにあるので、オーストラリアを完全な故郷と感じたことはなく、いつも自分にとっての”最適な地”を探していました。



「How Things Look」では外国人ならではの視点で面白いと感じる物体が被写体になっているようにも思えます。オーストラリアとノルウェーをルーツに持ち、今はイギリスとドイツで活動をされていますが、マックスにとってのホームはどこでしょうか?

おそらくヨーロッパが自分のホームだと感じますし、自分のことをヨーロッパ人だと思っています。それと同時に、共通の理解を持っていると感じる人と一緒に時間を過ごす時、自分はホームにいると感じます。
例えばOK-RMのオリーとローリーと一緒に仕事をしている時や、それが場所が日本であっても、自分と同じ感覚を持っている人と出会って話をしているときに、故郷にいるような安心感を覚えます。自分にとってホームという感覚は、ドイツ語の「ヘイマート(Heimat)」というコンセプトに近いです。これはスピリチュアルホームという意味で、自分にとってのホームという概念は土地にとらわれず、頭の中にあるもので、自分が理解されていると感じる人と一緒にいることだなと思っています。



先ほど自分のホームだと感じるとおっしゃっていたOK-RMのお二人とは、どのように出会い、交流を始められたのですか?

ロンドンに住んでた時期は2000年代前半と、2012年と複数あるのですが、ロンドンに住む前から、OK-RMの仕事はオンラインで見つけてブックマークをしていました。その後ロンドンに引っ越した際に、彼らにメールでコンタクトをとったんです。
その後彼らから返信が来て、家がちょうど近かったこともあり、そこから交流が始まりました。
スタジオをシェアしていた時代もあって、その時に彼らがいつも若い学生や作家志望の人たちと会って話をする姿を間近で見ていて、自分が彼らと仕事をし始めた頃と姿が重なって見えたのを覚えています。
オリーとローリーが持っているエネルギーにはいつも影響を受けていて、今は同じ街に住んでいませんが、ロンドンに行く時には必ず会いに行くようにしています。


マックスは90年代のスケートボードカルチャーに影響を受けたとおっしゃっていましたが、写真を撮り始めたのもその頃でしょうか?


私はスケートカルチャーと一緒に育ちました。その頃を思い返すと、一つの文化というレンズを通して物事を見つめるという行為が自分に大きな影響を与えたと思っています。12歳の頃から自分をスケートボーダーと認識し、スケートボーダーが着るような服を着て、ステッカーを集めたり、スケート雑誌を読んだりと、その文化にどっぷりと浸かりました。今は物事全てをスケートボーダーとして見ている訳ではありませんが、当時の自分にとってはとても大事な世界を理解するための方法でした。
これは90年代前半のことで、情報を得る手段は雑誌が大きな役割を持っていた時代です。何のステッカーをはって、どの靴を履くか、またスケートでどういうトリックをするかということが自分のアイデンティティを形成していきました。
このディテールが大きな意味を持つという感覚が、自分がカメラを持ち始めたときに写真という世界に引き込まれた理由だと思います。なぜなら、私はスケーターを撮影するということに興味は沸かず、ドキュメンタリー写真に関心が向いていったからです。
初めてウィリアム・エグルストンの写真を見たときに、何か突然の気づきのようなものがありました。彼の写真は答えをくれるというより鑑賞者に疑問を投げかける作品だと思っています。
彼の作品にとても強い興味を引かれ、それは自分の作品にとても強く影響を与えたと思っています。



それはマックスの建物全体を写すのではなく、ディティールをピックするという建築写真へのアプローチにも共通しているものがありますね。
ウィリアム・エグルストンの写真の話に戻りますが、彼の写真にはある種の客観性があります。1枚の写真の中の要に優先されている被写体がないので、自分の裁量で物語を想像することができるのです。これは自分が建築を好きな理由と共通しています。建築、主に住居は、人が住むための建物で、それは窓の数だけ物語があるということです。建物自体は決して動き出すことはないですが、ある見方で見つめると、物語が見えて来ます。今も隣に立っているビルの部屋の中にハシゴが置いてあるのが見えますが、私は「誰かがハシゴを登って、ランプシェードの中に何かを隠したのかな?」という風に物語を想像するんです。
「How Things Look」では生き物のように見えるオブジェクトを写していますが、同時にそのものがそこに置かれた背景となる物語に、私は興味を持っています。



日本での展覧会に期待することはありますか?
日本で展示をするのはこれが初めてなので、とてもわくわくしています。最初に日本を訪れたのは、友達に会いに行った2001年のことで、それから日本への興味を失ったことはありませんでした。20年前は、ストリートカルチャーへの興味が一番強く、それから建築やデザインも好きになって、日本の文化や人が大好きになりました。
日本の友達や新しく出会う人々と、自分の作品をシェアして話しをするのがとても楽しみです。

インタビュー・写真=Kanako Tsunoda